銚子電気鉄道線特集 【NEW】 |
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概要
デハ1002は小学館の支援を受け漫画「鉄子の旅」の原作者菊池直恵考案の特別塗装に変更されたが、この塗装は2011年9月で終了し、その後赤い車体に白い帯の丸の内線カラーに塗装変更され、2011年11月26日から営業運転に復帰した。2015年1月10日さよなら運転「ありがとうデハ1002号」を最後に営業運転を終了した。
伊予鉄道から、直流600Vで運行していた800系電車2両編成2本をデハ2000形・クハ2500形として譲り受けた。なお、導入時の工事などで1億4000万程度の予算が見込まれており、そのうち2000万円を債権化して、1口10万円(200口募集)で車両支援オーナーと命名権を募っている。デハ800形に次ぐ伊予鉄道から2度目の譲渡車両で、2009年度内にこの車両でデハ700形とデハ800形を置き換える予定だったが、諸般の事情により大幅に遅れ、2010年7月24日から営業運転が開始された。塗色は、2001編成が伊予鉄道800系の前身、京王2010系電車の塗色であるライトグリーン一色である。2002編成はアイボリー一色の上にイオン銚子ショッピングセンター(現・イオンモール銚子)がスポンサーとなったラッピング広告が貼付されていた。後に正面に赤帯が付され、京王5000系電車を彷彿させるものとなった。2012年12月にイオンモール銚子のラッピング広告は剥がされ、赤帯が側面にまで回っている。2013年9月にはデハ2002の先頭部のみ上半分を赤に変更した。 デキ3 1922年にドイツのアルゲマイネ社(AEG、現在のエレクトロラックスおよびボンバルディア・トランスポーテ―ションの一部)で製造された凸型電気機関車。1067mm軌間の電気機関車としては現存最小である。1984年に貨物営業廃止に伴い、営業運転から退いた。現在では有志により修理・点検がなされ、仲ノ町車庫で動態保存されており、有料で見学できる。車籍は存置されているが、法定検査期限が切れており、また手ブレーキとコントローラによる非常用発電制動のみでいずれも自車のみ作用であり、エアーブレーキによる貫通制動を持たないため、本線運転につくことができない。2009年9月22日に旧塗装に塗り替えられたが、2013年に再び黒一色に戻っている。2012年4月4日に集電装置がビューゲルからトローリポールに戻された。
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過去の車両
私の有するデハ301、デハ501、デハ701、デハ801について記載する。 デハ301 元、日本国有鉄道モハ115で、JR鶴見線の前身鶴見臨海鉄道からの買収車。ドアエンジンは電磁弁を介さず運転台から直接、空気コックの開閉で操作されるものであった。内野屋工務店傘下になる前はトロリーポール(後にピューゲル)集電であった。晩年は架線点検車としていたが、2008年末限りで廃車となり、2000形導入準備のためデハ100形に続いて2009年10月に解体された。 私は、このデハ301の塗装色変更前と変更後の模型を有する。
デハ501 この車両は日本鉄道自動車製。元近江鉄道クハ23(2代)→上田丸子電鉄(現・上田電鉄)モハ2321。銚子電鉄初の間接制御車・パンタグラフ集電・蛍光灯照明・暖房装備車。前面は銚子寄りが非貫通形、外川寄りが貫通形。パンたグラフは外川寄りにあった。入線当初はアイボリーに窓周りと雨樋が朱色という塗色であったが他車には波及せず、その後まもなくデハ201に塗られた西部赤電色に類似したベージュとローズピンクが1990年までの銚子電気鉄道の標準色となった。全長12m弱の短い車体の割に4個のモーターが搭載されていたため消費電力が大きくデハ800形入線以降は予備車となり、1999年廃車以降は犬吠駅で車体の外川寄りの3分の2が、元相鉄モニ2022の車体とともに、当初は直営のレストラン、2007年1月現在はNPO運営の喫茶店として使用されていた。2010年8月現在諸事情により休業していたが、2012年7月下旬にモニ2022とともに解体処分された。 私は、このデハ501の塗装色変更前と変更後の模型を有する。
デハ701・デハ702 1928年川崎造船所で製造された近江鉄道の電動貨車デユワ101形を1941年に日本鉄道自動車で鋼体化したモハ51形51・52を1978年に譲り受けたものである。デハ702は、2010年1月23日に、さよなら運転を行って営業運転を終えた。デハ701のさよなら運転は当初2010年3月下旬に行われる予定であったが、諸般の事情により9月23日に行われて営業運転を終え、2011年秋には千葉県いすみ市にある「ポッポの丘」に2両とも移された。この車両の写真を撮ってあるので、掲載する。
私は、デハ701の模型を有している。なおデハ702の模型は存在しないが、モハ701のボデーをエアーブラシを使用して塗装変更しモハ702を製作する予定を立てている。完成次第このページに掲載したい。
デハ801 元は1950年に製造された伊予鉄道クハ400形405→モハ100形106に改造。銚子電鉄には1985年に譲渡された。伊予鉄道時代に片運転化・両運転化の両方の改造を受けており、全面形状が銚子寄りは3枚窓非貫通形、外川寄りは3枚窓貫通形。ただし、貫通扉は固定されており実質的には非貫通形になっている。パンタグラフは既設運転台の銚子寄りにある。なおデハ801のさよなら運転は、当初、2010年3月下旬に行われる予定であったが、諸般の事情により同年9月23日に行われ営業運転を終えた。2014年5月現在、同車は外川駅の留置線に保存されている。 私は、デハ801の模型を有する。
なお、この文章の大半は、「フリー百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)」の内容を参照しました。この場を借りましてお礼申し上げます。写真は私が撮影したものです。 |